ここ数日、面識も何もないとあるプロサッカー選手の訃報にずっと胸を痛めています。
リバプールのポルトガル代表MFディオゴ・ジョタが交通事故で急逝
元々野球にしろサッカーにしろ、日本代表の選手が海外で頑張ってるニュースを追いかけるのが好きなのですが、このポルトガルのサッカー選手は何かと日本の選手と(味方としても敵としても)関わりのある選手でよく覚えていました。最近では日本代表キャプテンの遠藤航選手とも仲良い印象でした。
そんな28歳の彼が、所属するチームの練習に参加するためイギリスに戻る道中、スペインでの交通事故によって弟と共に亡くなった、というニュースです。
昨シーズンのプレミアリーグで優勝したリヴァプールでも、先日開催されてた欧州の大会で優勝したポルトガル代表でも活躍していた現役バリバリの選手で、来年のワールドカップに向けてキャリアの集大成とも言える時期に差し掛かっていた頃。
加えて彼は3年前に婚約した長年の恋人と2週間前に結婚式を挙げたばかりでした。既に子供を3人もうけており、家族としての歩みもこれから。彼のInstagramの最後の投稿はその結婚式の様子を撮ったものであり、事故の1日前にアップされたものでした。
神も仏もない、とはこのことなのか。
突然夫を失った妻、父を失った子供たち、2人の息子を失った両親と親族。その心境を察することは到底不可能です。
サッカーの知識も浅いニワカな僕なのですが、このニュースのショックを未だに感じ続けています。
「突然人が亡くなる」事象は、必ずしも珍しいことではありません。今回のような交通事故や水難事故、飛行機や鉄道の事故、災害、突然の病、不幸な事件に巻き込まれるなど、色んなケースで起きてしまっています。
これらのニュースは世間の日常では大体メディアの1記事、5〜10分程度の報道で消化されますが、その裏には被害者を失った親族の存在が必ず存在します。珍しいことではないってだけで、いつだってこういう出来事はショッキングです。
三十何年か生きてきた中で、そこそこ人の死に直面してきました。その中には「ある程度心の準備が出来た上でのお別れ」というものがあれば、今回のような「突然のお別れ」というものもありました。
どちらも悲しいことに変わりはないのですが、長年の闘病の末などで起こる前者は、悲しいながらも、どこか周りもひとつの結末として身の回りも心も準備して迎えられるものがあったな、と感じています(あくまで経験則でそう感じただけで、背景に大きな悲しみや寂しさがあることに変わりはありません)。
それと違って後者の「突然のお別れ」は、身の回りどころか頭も心も準備が全く出来ていない。
その人も一緒に生きていく前提で設計してた人生は突然却下され、あれよあれよという間にお通夜やら葬儀やらお別れの儀式の準備をさせられ、その人のいないその後の人生を強要される。
その現実に直面したら、喪失感・絶望感以外に何が感じられるのだろうか。時間薬というが、受け入れられる日は果たして来るのだろうか。
僕が遭遇した「突然のお別れ」は、心筋梗塞、または事故による突然の不幸によるものでした。ダイビングの事故によって知り合いのダイバーさんが亡くなった、という経験もあります。
中には親族の方と少しやりとりする機会もありましたが、やはり突然の不幸をすぐには受け入れられず、生前の姿を求めてしまう・・・そんな話もしたりしました。
はっきり言って「突然のお別れ」は、特に残された側にとってとても、とても理不尽な出来事です。出来れば起きて欲しくない。でもそこそこの確率で起きてしまう。起きたら起きたで、失ったその後の人生を生きていかなければならない。そう考えるととても残酷です。
「突然のお別れ」が起きてしまうかもしれない残酷な世界の中で、我々はどう生きたらいいと言うんだ。解決策も何もないこの疑問について数日考えてしまったりもしました(似合わないなぁ)。
件の事故を受けてリヴァプールやポルトガル代表などの数々のチームメイトが声明を発表していましたが、その中でも印象に残るメッセージがありました。
it’s Diogo and his brother. Yesterday it was someone else. Tomorrow it could be us. Let’s enjoy every moment that life offers us, with our families, friends, even strangers. Let’s try to live in peace and send each other love. We don’t know what tomorrow brings.
今日はディオゴ(事故死した選手の名前)とその弟だった。昨日は他の誰かだった。明日は我々かもしれない。人生の全ての瞬間を、家族、友人、赤の他人とでさえも共に楽しもう。平和に生き、互いに愛を送ろう。明日は何が起こるか分からない。
結局これしかないんですよね。「今を皆と楽しむ」しかないんです。
生きていれば自然と将来について思い耽ったり悩んだり、今やれることを「面倒くさい」「他にやりたいことがあるから」と後回しにしたりとか、「先がある」前提で考えたり動いてしまうってことありますよね。仕事とか、プライベートとか、人間関係とか、色々。
でも本当に「先がある」とは誰も保証できない。今この瞬間を後悔しないように最大限に楽しんで生きることこそ、一番やらなければいけない大事なことなのかもしれません。
今生きてるこの時間を大切に。今の自分を大切に。今自分と付き合ってくれてるor付き合っていきたい人たちを大切に。大切じゃないものに引っ張られ過ぎないよう適度に見切りをつけて。明日に突然不幸が訪れる残酷な世の中かもしれないけど、出来る限り今与えられてるこの一瞬一瞬を楽しみながらこの世界を生きていくしかないのかな、と考えています。
そして願わくば「突然のお別れ」によって残された方々が、いつか乗り越えられる日々に向けて周囲からたくさんのサポートを受けられるように、と願っております。もし身近でまた遭遇することがあったら、自分がちゃんとサポートできる人間になれていますように。
ちょっとここ最近仕事が忙しい仕事が忙しい・・・と余裕ない状態が続いた中で前と比べて子育て(ないしは第2子の準備)を妻に任せっぱなしになってる時間が多く、反省というか後悔というかもどかしい感覚のある日が続いておりました。今回のニュースにやけに胸を痛めてしまっているのもそのせいかもしれません。寝転がるしかできなかったあの新生児が1年経った今やすごい速度で二足歩行しているという、恐ろしい成長スピード。今の息子の姿をちゃんと目に焼き付けるようにするのもまた、今この一瞬を楽しんで生きる一環として大切にしないとですね。
ガラにもなくダイビング系のブログなのにダイビングとあんまし関係ないことを書いてしまいました。ダイビングに関連して書くとすれば、自分がこの先もずっとダイビングを続けられるわけでもなければ、好きなダイビングポイントやダイビングショップがずっと残ってくれているとも限らないわけだから、その潜れてる一瞬一瞬をダイバー仲間と楽しんでいこう、ということになりますね!あとは、余計な不幸が起こることのないよう、自分の安全意識を徹底してダイビングに励んでいきましょう。
ではでは。


















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