※写真はこの記事より抜粋です
Thailand cave rescue: how did the boys get out?
先日、6月23日よりタイ北部の洞窟深部で、地元の少年サッカーチームのメンバー13人(アシスタントコーチ含む)が閉じ込められて遭難してしまう、というニュースが飛び込んできました。
ちょうどサッカーのW杯で日本の試合日程の間にあたると思うのですが、練習中の日本代表がこの少年達向けにエールのメッセージを送ってたし、海外からもボランティア集まって救出隊が結成されるなど、国際的にも注目が集まるニュースとなりました。
そして遭難から18日目、こんな嬉しいニュースが飛び込んできました。
タイ北部の洞窟で遭難した少年ら13人は、遭難から18日目の10日夜、海軍などのダイバーによって全員が救出されました。13人は体力の回復を図るためしばらく入院することにしていますが、命に別状はなく、救出活動の責任者は「世界でも初めてといえる作戦を成し遂げた」と喜びを語りました。
※NHK NEWS WEBより
こうして「無事全員救出」というハッピーエンドである一方で、この18日間の間の救出活動で、ボランティアのダイバーが1人死亡するという悲しい事故も発生しています。
この遭難がどのように発生・発覚し、その救出のためにどのような作戦が考案され、実行中に何があったのかを、いくつかのメディアの記事をもとに探ってみようと思います。
現場について
まずは、今回の現場となったタム・ルアン洞窟の場所についての概要です。
洞窟の所在
そもそもこの洞窟どこにあるの?という情報に関しては、かなり詳細に説明している画像を見つけました。
※引用元はこちら
Thai soccer team set out on team-building exercise that turned into nightmare
場所の位置としては、タイの北部、ミャンマーの国境沿い。
Pong Pha(ポーンパー)という名前の村のすぐそばにある、Doi Nang Nonという標高1,276mにあるタム・ルアン洞窟というのが今回の現場のようです。
バンコクをはじめとする観光都市は基本は南に位置しているので、タイに遊びに行ってもここの区域にやって来るということは無さそうかな、という印象です(旅行予約サイトでよく出て来る「タム・カオ・ルアン洞窟」はこの洞窟とは別物です)。
にしてもこの山の画像を見ても分かる通り、相当奥の方に入ってしまってたんだなぁ、と。
洞窟の中について
さて洞窟の中はどうなってたかと言うと、こちらも画像がありました。
※引用元はこちら
Thai soccer team set out on team-building exercise that turned into nightmare
さらにもう1つ画像です。
※引用元はこちら
Why were the Thai boys in the cave and how were they found?
入口から少年たちがいた場所まで全長2.5マイル(約4km)の洞窟で、1枚目の画像を見ても分かる通り、コースは相当入り組んでいます。ちなみに全長約4kmと書きましたが、あくまで彼らがいた場所までの距離であって、洞窟自体はその後もまだまだ続いてるそうです。
※記事によっては「全長5〜6km」と書いているものもあり、正確な数字ではないかもしれません
コースのうち入口から1/3くらいのコースまでは水に浸かることのないエリアですが、それ以降は水に簡単に浸かってしまうエリアとなってしまっています。
なぜかと言うと、1枚目の画像の左上辺りにある「T-junction」と言う分かれ道みたいに見えるポイント。このポイントから送られて来る山からの水によって周辺のコースが浸かりやすいような構造になっていたからのようです。
おまけにその辺りからのコースは
- 一度に1人しか通れない狭い道のり
- ところどころにある崖のような高低差
と言う難所ポイントが存在し、それが救出活動の難易度を上げていたようです。
何でそこにいたの?
場所の説明をしたところで、そもそもの問題。少年らは何でそんな場所にいたん?と言う点です。
少年たちについて
まずは彼らのプロフィールから。顔と名前はこちらの画像にて。
※引用元はこちら
Thai soccer team set out on team-building exercise that turned into nightmare
いくつかのメディアでも言われてる通りなのですが、彼らは地元のサッカーチームに所属している11〜16歳の少年たち12人で、25歳のアシスタントコーチであるエカポール・チャンタウォンさんが一緒でした(ミドルネームは「Ake」エイク、と読むのかな?)。この方とは別に、37歳のヘッドコーチがいるようです。ちなみに「Wild Boars(イノシシ)」って名前のサッカーチームだそうです。
何で洞窟に入ってたの?
では、あんな奥深くまで何しに入ったの?と言う点についてです。
この記事だと、こんなこと書いてありました。
Cave rescue: Key questions answered
ヘッドコーチによると、その日(6月23日、土曜)は試合が組まれていたのがキャンセルになりました。そのため代わりに練習の予定が組まれていました。
少年たち(=今回遭難した少年たち)はサイクリング好きでもあり、親とのFacebookでのチャットによれば、Akeコーチがサッカー練習場までサイクリングで向かうことを提案したようです。(中略)
その日はピーラペット君(=今回の12人の少年のうちの1人)の16歳の誕生日でした(中略)
ヘッドコーチによれば、おそらく少年たちがAkeコーチを説得する形で洞窟に向かったものと思われます。洞窟は前から少年たちの間では有名で、度々探検していた場所でした。
※本文を日本語訳しています
こっちの記事も、彼らが洞窟に入った経緯について少し言及しています。
Why were the Thai boys in the cave and how were they found?
彼らは洞窟の奥まで行って自分の名前を書いて戻る、というゲーム(通過儀礼?)をするために洞窟に入っていたことがわかった。
※本文を日本語訳しています
他にも「この洞窟探検は、チームビルディングの一環で前々から行われていたことだ」って言及してる記事もあったりで、実際のところどうなのか意外にふわっとしてます。
が、勝手に憶測するに、
- その洞窟は元々少年たちの間で探検場所だった
- 洞窟はサイクリングで行ける場所にあった
- その日は試合がキャンセルでサイクリング練習をする機会があった
- 仲間のうち1人が誕生日だったから、その洞窟でセレモニーをしようと言う話になりアシスタントコーチも説得され同行することになった
・・・って経緯で洞窟に入ったはいいものの、途中で洞窟内の水位が急激に上がって退路を断たれ、全員で奥にまで進むしかない状況に陥った、ってところなのだと思われます。
ちなみにこの時期のタイはバリバリの雨季で、モンスーン(季節風)で荒天になるとビックリするほどの雨量でスコールが降って来ることもあると言う気候です。
救出にあたった人達について
次に、今回救出作戦に関わった人達についてです。こちらですが、クローズアップ現代でどんな人が関わっていたのか、まとめられていました。
入り口の近くに置かれた救出チームの本部には、軍の関係者などが1,000人以上、中でもダイバーは、タイ海軍のダイバー84人に加えまして、欧米や中国など、海外からも50人が集まり、重要な役割を果たしたといいます。そのほかにも救出チームを支える地元の人たちなどのボランティアは、地元メディアによりますと、毎日1,000人。洞窟の中に水が新たに入り込まないように土のうを積んだり、沢の流れを変えたり、また、水を外に出す作業もボランティアたちが行っていました。さらに、炊き出し、物資や人の輸送、ごみの収集、そして洗濯やマッサージなど、あらゆるサポートをしてきました。
※リンク先より抜粋
これを読む限りは毎日2,000人以上にあたる人々がこの救出作戦に様々な形で関わっていたという、一大プロジェクトとなっておりました。
中でも実際に救出を行うダイバーの役割は言わずもがな重要で、これに134人もの経験豊富なダイバーがボランティアで参加しています。
参加した方々の名前が一部、この記事で紹介されています。
潜る英雄たち 少年たち助けた多国籍ダイバー軍団
この記事での登場人物名をまとめると、
- ジョン・ボランセン氏(イギリスのダイバー兼ITコンサルタント)
- リチャード・スタントン氏(イギリスのダイバー兼元消防士)
- ロバート・ハーパー氏(イギリスの洞窟専門家)
- リチャード・ハリス氏(オーストラリアのダイバー兼医師)
- タイ海軍特殊部隊の人々(84人)
- サマン・グナン氏(タイの元海軍潜水士)
- ベン・レナメント氏(タイでダイビングショップを運営)
- クラウス・ラスムッセン氏(レナメント氏のショップの専属インストラクター)
- ミッコ・パアシ氏(タイのコー・タオ島でダイビングセンターを創設・運営)
- アイバン・カラディッチ氏(パアシ氏と共同でダイビングセンターを運営)
- エリック・ブラウン氏(エジプトでダイビングセンターを運営)
と、多国籍なチームとなっています。
共通なのはどの方も洞窟潜水(いわゆるケープ・ダイビング)に関しては指折りの専門家であることです。これまで様々な地域でケープ・ダイビングによる救助活動に携わった人もこの中に多数含まれています。
救出劇の経緯 〜少年たちはこうして救われた〜
さて、この記事のメインの話題になります。
少年たちが洞窟に入ってしまった後、周囲の人々がどのように行動し、救出隊がいつ集まり、どのような経緯で救われたのか、日を追いながら見ていきたいと思います。
※この辺りの記事をすごく参照しました。
Thailand cave rescue: how did the boys get out?
Why were the Thai boys in the cave and how were they found?
少年たちの遭難発覚
6月23日
少年たちとAkeコーチが洞窟に入り戻ってこれなくなった日です。
練習から彼らが戻ってこないのを不思議がった親達と、連絡を受けて緊急事態を察知したヘッドコーチが捜索した結果、彼らの自転車やらサッカーシューズやらが洞窟入口付近のフェンスに置きっぱになっているのを見つけました。この日のうちに警察に連絡が入ります。
6月24日
警察が本格的に捜索を開始。
その結果いくつかの指紋と足跡を見つけたことで、少年らは洞窟の中で脱出できなくなってるっぽい、ということが判明します。とは言え、この時点で生死は全く不明・・・親族は洞窟のすぐ外で徹夜する羽目になります。
洞窟の捜索、救出隊の結成
6月25日
先述のタイの海軍特殊部隊がこのタイミングで参加し、空気タンクと食料を抱えて洞窟内への捜索を開始します。ただ、ひどい雨が続いてるのと、どうも少年たちが思っている以上に遠くまで行ってしまっていることもあり、この時点でも彼らの状態をつかめてません。
この時、外では親が少年たちの無事を祈るよう臨時の祭壇が建てられています。
6月26日
タイの海軍ダイバーはこの日のうちに、ダイバーがレギュレーターなしで息が出来る場所を見つけており、またT-junctionのエリアまで捜索を進めています。ただ、その先が完全に水に沈んでることもあり一旦引き返すことになってしまいました。
この日、タイの首相が国際向けに救助協力の呼びかけを行っています。これ以降、メディアでこのテーマが取り上げられるようになりました。
6月27日
タイ首相の呼びかけに応じる形で、アメリカインド太平洋軍から30人以上のアメリカ軍人が現地派遣されました。
また同時に、ボランセン氏・スタントン氏・ハーパー氏と、3人の英国人ダイバーもここで救出活動に参加し始めました。ここから急速に救出に関わる人々が増えていきます。
6月28日
潜っていこうにも水が濁りすぎてて先進めないだろ、ということで水を掃き出すポンプが導入されます(毎分5,000リットルの水を掃き出すツワモノポンプです)。他にも他の入口が無いか削ってみたり、ドローンを用いて捜索したりと、様々な手が導入されていきます。
ですが、この日は30mmの大雨。作業は一時中断されるなど難航します。
救出作戦の計画、少年たちの発見
6月30日
この時点では、どちらかと言えば「救出」よりもまず「少年たちを見つけること」に行動がフォーカスされていますが、この日のうちに少年たちが無事に見つかった後にどのように救出していくか、作戦が組み立てられます。
この時点で、3人の英国人ダイバーの他にもリチャード・ハリス氏など他の熟練ダイバーも集まっていたと思われます(リチャード・ハリス氏の参加は上記の3人の強い要請があったようです)。またここから3日間ほど雨量が少ない日が続き、捜索活動は前進していきます。
7月1日
入口から入って700m地点に救助拠点が設営されます(洞窟内の図で「Chamber 3」と書かれているポイントです。この地点が、水に浸かっている場所とそうでない場所の分岐点になっています)。拠点には大量の空気タンク、食料などの必要な物資が滑車などを用いてこのポイントに運び込まれてきます。
この時点で少年たちを脱出させるには彼らにも潜水させる必要あり、と想定されていたのでしょう。とは言え彼らはダイビング未経験だし、体調や栄養状態はダイビングに適してるとはとても考えられません。今回の拠点設立のように、いかに距離を縮められるかどうかも重要です(実際に行われた救出作戦の内容は後述)。
発見!
7月2日(初めて発見された日)
※画像はタイ海軍特殊部隊が公開した発見時のものです
ボランセン氏・スタントン氏の2名が、この日少年たちが、パタヤ・ビーチと呼ばれるポイント(小さな岩山で水が届かないポイント)のさらに奥にある岩棚に全員集まっているのが発見されました。
動画も公開されていましたが、「何人いる?」という問いにしっかり「13人」と答えてたり、今の日付を聞いてたりしています。遭難発生から9日目の出来事です。
7月4日
リチャード・ハリス氏ら医療チームが、彼らのもとに行って診察を行います。
するとなんと、全員の体調・栄養状態は悪くなく、救出作戦に耐えうる体力が残っている、という診察結果となりました。これ結構ビックリな話で、遭難発生からこの時点で11日経過しており、明かりも何も無い極限状態だったにも関わらず、彼らには体力が残されている状態だったのです。
調べてみると、誕生日セレモニーだったということもあって皆で持ち合わせていたスナック菓子や、洞窟の天井から滴り落ちる水滴で飢えをしのいでいたようです。またAkeコーチは同時に僧侶でもあるようで、少年たちに慌てず落ち着き、無駄な体力を使わないように叫んだり動き回ったりせぬよう少年たちを諭していたようです。
この後展開される救出活動の様合いを考えると、これらの行動が結果的に大きく貢献することになります。
7月5日
ポンプによって、洞窟の前半コースの水を約40%が掃き出された、という報告が下りますこれによって、設営した救出拠点まで歩いて行くことが可能になり、活動範囲が広くなります。
少年たちの下にはブランケットや明かりに食料など物資がダイバーによって届けられるようになり、また常にダイバーが数名彼らの下に留まることで精神的なケアが為されています。
事態緊迫化
7月6日
少年たちが見つかった一方で、早期の救出の目処は立っていませんでした。原因は雨季の影響で洞窟の中で頻繁に濁流が起きていること。
大雨の直後の川の流れを想像してください。あれが洞窟の狭い穴をそのままの勢いで流れているようなものです(実際にこの記事に洞窟の中の水流の動画があります)。
ただでさえ、入口から少年たちの場所を潜水越しで往復するには、11時間以上かかるような難所です。そのため救出は雨季の終わった後、つまり4ヶ月後になるのでは無いか、という想定もされていました。
が・・・洞窟内の状況はそう悠長なことも言ってられない感じになってきていました。酸素濃度が通常の21%から15%まで落ちていることが報告されたからです。この状態のまま4ヶ月待つのは危険で、今のうちに助けるしか選択肢がありませんでした。そのため危険ながらも救出活動を行っていく必要がありました。
そうした救出に向けた準備を進めていく最中で、悲しい事故が起こります。
救出準備の1つに、遭難場所までの各所各所、水が届いてない場所に空気タンクを配置する作業が行われていたのですが、その活動の最中でサマン・グラン氏が意識を失い、そのまま亡くなられてしまったのです。
あらゆるメディアの記事を参考にする限り、夜通しの作業を続けて行っていく中で彼自身の酸素残圧が限りなくゼロとなってしまっているのに気づききれなかったのか、そのまま気を失ってしまったようです。バディで組んでいたもう1人のダイバーが蘇生を試みたものの、かないませんでした・・・・
狭い洞窟を相手にしたケープ・ダイブ、並びにそれによる救出活動がどれほど難しいことであるのを残念ながら暗示する出来事でもありました。
7月7日
ポンプのおかげでいくらか水は抜けてきているものの、先述の洞窟の酸素濃度に加え、気象予報が事態を緊迫化させます。
と言うのも、11日に今までよりも多い50mmもの大雨が降ってくると予報されており、救出活動がそれ以上に延びるとリスクが高まってしまうからです。
そのため状況が最適となりそうな8日を「Dデイ(作戦開始日)」とし、そこから11日の前に全ての救出を終わらせることを目標に救出活動が開始されることになりました。
救出作戦開始
6月30日に練られ、シミュレートされた救出作戦はこの7月8日より敢行されることになります。
恐らく当初想定されていたこと
はじめは幾つかのオプションは組まれていたと思いますが、少年たちが見つかる前後で救出プランで挙がっていたものとして、
「少年たちに潜水の仕方を教えて、ダイバーの指示のもと洞窟を潜水して脱出する」
というプランが組まれていたものと思われます。見つかった当初に「救出に4ヶ月かかる」と言われていたのは雨季による降水量の多さの他に、この救出プランを実行するのに必要な期間も見込まれていたのではないでしょうか。
※引用元はこちら
Thai soccer team set out on team-building exercise that turned into nightmare
※引用元はこちら
Why were the Thai boys in the cave and how were they found?
他の記事の画像を見ても、基本的にはダイバーがサポートしながら少年たちが潜水して洞窟を進む形で救出活動をして行った、となっています(この後記述しますが実際は違いました)。
しかし、この救出方法、ハイリスクなんです。
その理由はケープ・ダイビングの難易度そのものにも関係しています。
ケープ・ダイビングについて
難易度といっても、ケープ・ダイビングそのものが特段難しいとかそう言う訳ではありません。ただ、明らかに通常のダイビングとは違うことがあって、それは「頭上が塞がっていること」。
「何だそれだけかい」と思うかもしれませんが、通常のダイビングは頭上に海面(=空気)があることで、どこか安心感をもたらしているところがあります。ケープ・ダイビングの場合は洞窟内のダイビングなので当然頭上は塞がっています。なのでその認識をしっかり持っていないと、何かあった際に通常よりパニックになりやすい可能性を潜めているんです。
僕もどちらかと言うとケープ・ダイビングは楽しめるタチなのですが、
これ宮古島の時の写真ですが、本当に人1人しか入れない洞窟の入口に入るときはちょっとドキドキします。中も想像以上に暗いですしね。
今回の遭難場所の洞窟の場合、さらに濁った水による強い濁流が流れています。なので当然視界はすごく悪い。おまけに少年たちは体調・栄養状態が悪いとは言わずとも万全ではなく、何より全員ダイビング未経験者です。ケープ・ダイビングはそれなりにダイビングの経験がないとやらせてもらえるものではありません。
あらゆる点でパニックになる要素満載です。
そのため「少年たちに潜水させる」救助作戦自体は実際すごくハイリスクなんです。
見る限り全員救出の報が入った10日時点では、海外も含めどのメディアもこの救出方法が行われていたものと考えられていたようです。が、タイの海軍特殊部隊がその後公開した動画には、全く別の方法を彼らが実行していたことが明らかになりました。
実際に実行された救出作戦
彼らは、そもそも少年たち自身を動かす方法は取りませんでした。1人1人を担架に乗せて、運ぶ方法を取っていました。
その際に少年たちには空気タンクと繋がったフェイスマスクを着けさせ、下手に動いてパニックにならないように、鎮静剤を打って意識を少し朦朧とさせていた、と言う一見ビックリする方法を取っていました。
なので、イメージ図で言うとこっちが正しいみたいですね。
※引用元はこちら
Cave rescue: Key questions answered
※引用元はこちら
Video: Thai boys didn’t swim out of the cave; they were rescued on stretchers
ダイビングという行動は、海中でいわゆる「呼吸する」「体を動かして泳ぐ」を掛け合わせた行動であり、このどちらかに異常が起こるとパニックになりやすくなります。そのため後者を必要無くさせ、少年たちは呼吸してるだけ、あとは経験豊富なダイバーがタッグになって洞窟の中から運び出してやれば良い、ということのようですね。
鎮静剤を打つのも意識を朦朧とさせて「呼吸」のみにフォーカスさせるためにはすごく有効な手段だと思います。実際動画を見ると、搬送されている間の少年たちの様子を見ると、ボーッとしてる感じ、寝てる、といった状態で、基本安定的に呼吸を保てている状態となっていました。
詳細な方法は、この記事でも分析されていました。
タイ洞窟遭難事故”救出劇の新事実 ~救出方法は、潜水によるタンカ搬送~
この記事でも記載されていますが、3人の英国人ダイバーがリチャード・ハリス氏の参加を強く要請した背景には、この作戦が当初からオプションとして想定されていたんだと思います。リチャード・ハリス氏は何十年というベテランダイバーであり、オーストラリアや中国でケープ・ダイビングを行っており、救助活動・遺体回収活動にも数多く携わっている方でした。
何より重要なのは、彼が麻酔医であること。片道潜水付きで5時間の洞窟内で少年たちを「意識が朦朧とする」程度に鎮静剤を効かせながら搬送する、という作業は彼なしでは不可能だったでしょう。
作戦開始、そして無事完了
7月8日
上記の救出作戦の下、まず4人が救助されました。
救助された4人は外で待機させられてた救急車に乗せられ、チェンライの病院に緊急搬送されました。
特にトラブルも無く作戦は進んでいるものの、作戦自体はとてつもないハードワークです。そのため夜の間は作業が中断され、次の日に持ち越しとなります。
7月9日
作業続行。
この日は5人救助されました。前日から救助人数が1人増えてることからも、作業が改善され効率が上がってきてることが分かります。
救助された5人は救助ヘリで、前日の4人と同様の病院に搬送されました。残るは4人の少年とAkeコーチです。
7月10日
この日は大雨だったものの、洞窟内の環境を変えるほどの雨ではないと言うことで続行。
無事に4人とコーチを救出。これにて、作戦は無事成功となりました。何とか最高雨量が予報されていた11日の前に、全員救出を完了させた形です。
まとめ
救出にかけられた多大なリソース
今回の遭難に関する情報をまとめてるうちに、今回の救出活動には本当に膨大なリソースと、知恵と、経験が活用されたんだなというのが分かってきました。
例えば救出作戦に関する予算は基本全てタイ政府が拠出したものの、アメリカインド太平洋軍から派遣された30人以上のアメリカ軍はアメリカ政府負担です。他にも、少年たちに届けられたブランケットや食料などの物資は現地企業によって届けられたものでした。
救出作戦に名乗りを上げたダイバーの航空費はタイ国際航空とバンコク・エアウェイズの計らいで全てタダとなり、ダイバーも基本皆ボランティアで今回の救出活動に取り組んでいました。救出活動の最中に結婚記念日を迎えた方もいらっしゃったようですし、リチャード・ハリス氏は今回の作戦のために「休暇を投げ打って」参加した、とのことでした。
こうした叡智と力と熱意が全て1つとなって、今回の作戦成功、13人の全員救出という奇跡的な結果に繋がったんだと思います。本当にスゴイです、これ。
少年たちの現在
現在少年たちは、搬送された病院にて治療を受けています。どうやら隔離病棟で、親族もまだ同じエリアに入ることは出来ないよう。コウモリも存在している洞窟に長期間滞在したことで、細菌感染の可能性があるからです。ただ、ニュースを見る限りでは比較的みんな元気そうですね。
教訓にすべきこと
なかなかレアな経験ではあるので、この話から何を教訓にすべきか、というのは難しいところですが・・・
まずは、「自然を舐めるな」という点でしょうかね。洞窟は普段から少年たちが行き慣れている場所であったとは言え、モンスーン時期に洞窟に入ることは警戒するよう、入口にサインはあったようです。いくら行き慣れてるからと、注告は注告でしっかりと認識しておくように、というのはダイビングでも変わりない話ですね。
また、ハッピーエンドとは言え、人が亡くなってしまったのは確かです。切迫した状況であったとは言え、ダイビングの中に存在しているリスクについては再度認識しなければならない、と感じました。
亡くなったサマン・グナンさんにはその勇気を讃えるとともに、心よりご冥福を申し上げます。
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